昨年の春からの新型コロナの蔓延、それと、この記念館を、細々とやってきた阿部が二回目の脳梗塞。動けるうちに作品や遺品を整理しょうと、2021年9月20日に閉館することになりました。作品と遺品は、遺品の持ち主と相談し、いつか再び展示が出来るように、一まとめにして保管することになりました。開館以来7年すぎました。多くの方々にはいろんな励ましの言葉を頂いてきましたが、本当にありがとうございました。
この記念館の開館までのいきさつなどは、「●HP管理人のページ「記念館開館まで」に詳しく載せてあります。時間があるときにでも、ユックリ見てください。どうもありがとうございました。
この記念館に来ていただいた方々、心から感謝申し上げます。 合掌
吉村惠美子さんは、加納房雄さんと結婚され、二人で絵の道を歩いて来られました。
お二人で各地の芝居小屋巡りを始め、文楽、地芝居の取材をして来ました。
夫の房雄さんが発病後も、病院通いの合間に、二人で各地を巡り作品を描いてきました。
房雄さんが天に召されるまで、自宅で献身的に看病を続けてきました。
夫の房雄さん、亡き後、中津川市民展の審査員や、日本画教室「銀の手」
を続けながら作品を描き、活躍されています。
クリックすると作品が大きく掲示されます。
2020年11 月 吉村惠美子・最近作 「白い妖精」
1回目は、2018年9月、「没後二十周年記念・安江静二展」を開催し、閉会した直後、9月25日に市民病院に入院しました。2回目はそれから2年後、2020年9月の暑い日、草を刈り畑を耕した日の夜中、突然立てなくなり、救急車で市民病院に入院しました。24時間の点滴後・3日間の昼間のみの点滴して、市民病院に10日間、城山病院にリハビリで2週間入院して退院しました。退院後2ヶ月過ぎましたが、今も右半身のしびれはとれません。幸いに話すことや。文字を書くことは出来ますので、とても助かっています。毎日、杖を両手に持って歩いていますが、歩くのは気のせいか身体にとても良いようです。
ボクは身体だけは、とても調子が良くて、お酒も毎晩欠かすことなく飲んでいました。血糖値が高かったので、病院には糖尿病の薬をもらいに通う以外は、かかったことがありませんでした。
脳梗塞の原因は・・・・・自分の身体への過信では???
安江静二心の記念館の出来るまでを、HP管理人のページ「記念館開館まで」に詳しく書いてありますので、時間があったら読んでみてください。
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6月9日(木)くもり後あめ あまり天気は良くなかったのですが、安江静二記念館で知り合った人達でスケッチへ行きました。地蔵峠からの御嶽山は雲の中。それで近くの喫茶店へ行くと…
そこは元鉄道員のやっている「ぽっぽ屋」という店。庭が鉄道のジオラマの舞台となっており、店主は珈琲を出し終えると、鉄道の帽子をかぶり「発車進行!」。店のわんちゃんも大歓迎してくれました。
この日は結局、ここの珈琲と鉄道ジオラマ。うまいそばと温泉で終わってしまいました。
平成28年5月7日(土)午後3時から、この記念館開館に関わった人達が10人ほど集まりました。記念館の庭では先生の好きだった五平餅が焼かれ、参加した人達が持ち寄った野菜の煮付けやお菓子、漬け物などを囲みながら話に花がさきました。
安江先生はこんな時、みんなの話を楽しそうに聞きながら過ごしていました。今日の五平餅は、馬籠峠伝来のエゴマ入りのタレがとてもおいしくて皆さんからも大好評でした。
先生がいたら、ひょいと手を出していたでしょうね!きっと。
次の会は、8月12日「中津川花火大会」の夕べです。ここは高台なので花火が下の方に見えます。気になった方はおいでください。
恵那市の「茶房・珈琲人」で「安江静二小品展」を開催。平成28年3月18日〜3月15日
「思いの籠もった作品はいつか自分で歩き出す時が来る 。」と安江先生の作品に出会った時から考えていました。安江先生が亡くなって16年過ぎました。記念館の作品もいつか動きだすに違いありません。その時が楽しみです。
恵那市の「茶房・珈琲人(こいびと)」での「安江静二小品展」の様子です。お店のママにも、お客さんにも大変喜んで頂きました。こんなうれしいことはありません。
安江静二心の記念館へいらっしゃい。
記念館へ来た人のことや、記念館での行事などを載せてゆきます。
安江先生のことで感じたことなどを書いてください。
よろしくお願いいたします。
恵那・珈琲人の展覧会や、安江静二心の記念館の行事などに、骨を折って頂いた、恵那・東野の伊藤隆司さんどうもありがとうございました。お元気でしたら連絡下さい。 阿部