吉村房雄さん(旧姓加納) 安江静二先生に学んだ


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安江先生に学んだ

  吉村房雄さん(旧姓・加納)

 

   奥様の日本画家・吉村惠美子さんのページはこちらです

 

 

 2017年10月4日朝、眠るように、とても安らかな表情で安江先生の居るあの世に旅立ちました。安江先生をとても慕っていたのでお二人で芸術や、人間の生きる意味などを語っていると思います。昨年の11月には文楽「仮名手本忠臣蔵」を主題にした大きな個展を恵那文化センターで開催し好評を得ました。次の個展では文楽「菅原伝授手習鏡」で開催したいと意欲を見せておられましたがとても残念です。

 

 病気になってから約10年、長い闘病生活を強いられました。でも、投薬の合間には、痛さや、苦しさなど微塵も感じさせず、満面の笑顔で僕たちの前に現れ、よく飲みました。苗木のスナック・マロンへは良く行きました。そんな時の彼はとても幸せそうに見えました。

奥さんの惠美子さんは、房雄さんの希望通り入院せず自宅で彼を見送りました。とても大変だったと思います。しかし、房ちゃんは、最後まで愛するご家族と一緒で、とても幸せだったと思います。

 

 吉村(旧姓・加納)房雄さんは中部電力に務めながら、昭和三十年代に安江先生の門を叩き、絵を勉強して来ました。以来、弟子達の会である「あざみ会」の結成、安江先生の最初の個展開催、安江先生と東京上野の創造美術展会場へ行ったり、先生と行動を共にしてきました。一時仕事の都合で安江先生から離れた時期もありましたが、安江先生が「特別養護老人ホーム・瀬戸の里」へ入られた時には、バンを車椅子でも乗れるように手すりを付けて改造し、あちこちに先生を連れて出かけておりました。各地で開催される展覧会や、五平餅の会、クラシックを聞く会、先生の大好きな紅葉の季節のドライブなど、安江先生もとても楽しみにされていて、帰りには我が家に必ず寄ってくれました。そんな時の先生の笑顔と房ちゃんの笑顔が今も目に浮かびます。

 

 安江先生の念願だった画集の編集・制作には率先して大変な仕事を引き受け、発刊の記念パーティや出版記念展覧会では、いつも縁の下の力を発揮してくれました。1999年9月に安江先生が瀬戸の里で亡くなったときは、ひとときも安江先生から離れず、瀬戸の里で行われた葬儀も最後まで主になってやり遂げました。

 

 ここ「安江静二心の記念館」設立には欠かせない重要なメンバーですが、開館以来ことある毎に協力をしていただきました。開催してきた「歌う会」「花火を観る会」「記念館創立記念の会」「先生の命日」など、思い出すときりがありません。病気になる前には、奥さん・日本画家の吉村恵美子さんと結婚され幸せな毎日過ごしてこられました。お二人とも画家ですので、よく取材旅行をされておりました。記念館の行事にもいつも二人で来てくれました。

 

 吉村房雄さんが居なくなるということは、記念館にとっても、ボクにとっても耐えられないくらい大きな出来事です。

とても悲しいです。

 

                                                                  阿部武東

 

吉村房雄さん(旧姓・加納)のアルバム

安江先生に学んだ

吉村房雄(旧姓加納)油彩展

仮名手本忠臣蔵 大序〜十一段目

文楽人形浄瑠璃(大阪国立文楽劇場取材)

2016年(H28) 11月25日(金)〜27日(日)

恵那市文化センター展示室にて

個展に寄せて 

吉村房雄さんは、昭和三十年代に安江静二先生に絵の手ほどきを受けはじめました。

安江先生のアトリエで先生の画友・中川とも先生を知り、お二人の画家からは沢山の教えと大きな影響を受けました。

 二十数年前から、各地の芝居小屋巡りを始め、文楽、地芝居のクロッキーに没頭して来ました。

その間に発病しましたが、闘病の間を縫って描いた多くの作品は、

自己の存在の探求心と、お世話になった方々への感謝の気持ちに満ちています。

お忙しいと存じますが、御高覧の程よろしくお願い申し上げます。 

 

 

 


安江先生に学んだ

恵那市の“茶房・珈琲人で

吉村房雄さん(旧姓・加納)の個展(終了)

2016年(H28)4月24日〜5月24日 


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