右から
1.謙虚であることが画家としての
一番大切なことである
2.具象とは 外題ではない(真実)
画家の心が感受したものの表現
である
3.孤独こそ作画の本源である
外に求めるのではなく内に探求
すべきである
4.第三者を意識してはならない
ひたすら自問の作画を描くべきだ
達者な表現描写では
真価ある作品ではない
1997年、安江先生の画集を編集してた時、アトリエのすみからくしゃくしゃな半紙に書いた
言葉が出てきました。
自分自身に向けて書いたのではないかと思われます。
〈独断の解説です〉
1.謙虚で素直でなくては、一番大切なものものが見えてこない。心は、ほめられたり、賞をもらったり、おだてられたりすると、自分の考えとは裏腹に勝手に舞上がってしまい、うぬぼれに陥りやすい。不安定な心を、自分自身で常に掴み、見つめなくては真実は見えてこない。
2.外観を写し取るのではなく、描く人の心に感じたものを描けば良い。本人が心で感じ、心で見たものが一番大切なことです。
3.この言葉はどのくらい考えたかわかりません。“孤独でなくては自分自身の心の奥が見えてこない”そして、”創造とは外から得られるものではなく、自分の心の中に全てがある”だから自分の心のなかを探しなさい!そのために、孤独はとても大切なこです。孤独じゃなくては、見えてこないモノが沢山ある”と言っていると思います。
4.“作品は他人に見せるために描くのではなく、自分の心の神に向けて描くべきだ!
かっこいい作品を描いても何も見えてこない。真価ある作品は、静かに自分の心の神と対峙することだ!”と言っています。
この4っつの言葉にはどれほど救われ、勇気づけられたかわかりません。
特に③の「外に求めるのではなく内に探求すべきである」と、
④の「第三者を意識してはならない」
の言葉には感激しました。あたりまえのような事ですが、他の人が作ったものを参考にするのではなく、
自分の心の中に全てがあるのだから、間違ってないと思ったら自信をもって進めばいい。と言っていると思います。
難しく考えずに、素直に考えればいいのだと思いました。おかげでとても楽になりました。
なぜ作画するのか 何を表現するのか
作品とは せつめいではなく 作家感動であり
永遠の生命の表現である □□□□□は目にうっ
たえるものでなく 心にうったえ
るものである 第三者を意しきして作画し
てはならない 神に捧げるべく作画すべ
きである 眞とは何か 眼に映るものではなく
心に感受するものである
描く心象は その心とのゆう合であり
作家自身である こんぜん一体のもの
この言葉は画集に掲載されています。編集作業をしていたとき、偶然家に立ち寄った近所のおじさんが、この言葉を読んで、ぽろぽろと涙をこぼされました。ボクはあっけにとられ「どうかしましたか?」と聞くと、おじさんは「神に捧げるべく作画すべきである」を読んで「生きているうちに、こんな素晴らしい言葉に出会えると思わなかった。感動した。思わず涙があふれてしまった。ゴメン。」と言われました。おじさんが感動する姿を見て、感動しました
厳しい自己との対決
その内から 生まれてくるものが
最高の作品である
温床の内に しらずしらずのうちに
居座っていた自己を知った
こうした生活のなかから
作品が生まれてくる はずがない
この言葉は先生が亡くなった2年後、月に一度だけアトリエ公開をしていた時に偶然みつけました。アトリエのスケッチブックに挟まっていたのです。故加納房雄氏(後、吉村房雄氏)が感激して額に入れ、先生のアトリエに展示しました。
黙々として
心をこめし作品を
残してゆかむ
去り行く日まで
上の言葉は画集編集時に、弟子の方々から聞いて書き写したものです。安江先生のエピソードはたくさんありますのでそちらのページをご覧下さい。
「安江静二画集」が出版された時、安江静二の言葉のコーナーに感激し、個人で6冊も買ってくれた店主がいました。そんなに買ってどうするか聞いたところ、「知り合いに配りたい。そしてこの言葉を読んでもらいたい。」との事でした。
この方は、安江先生が天に召されて2年後、追うように亡くなりました。