滝川英明 画伯が旅立ちました
滝川英明さんは中学3年生の時、尊敬する画家安江静二先生のアトリエに通って油絵を始めました。中津高校3年生の時岐阜県展で文部大臣賞を受賞されました。その後、多治見市陶磁器意匠研究所で研究生として学びました。作品制作の傍ら中津川市の水上美術研究所に入ります。1977年、渡仏した水上貴博先生に代わり、指導リーダーとして、水上美術研究所・大人と子どもの絵画教室をみてきました。1979年には行動美術協会・会友推挙、1988年には多くの受賞とともに行動美術協会の会員に推挙されました。
東京銀座、名古屋、春日井、中津川、恵那などでの個展も数多、受賞も数多く華々しい活躍をされてきました。岐阜県中津川市では、中津川市美術家協会の設立会員、岐阜県展審査員、中津川市民展審査員などを。また行動美術協会の中部行動展では事務局、自身の絵画教室のアトリエ・タキを主宰し多くの画家の育成に尽力して来ました。
以前から身体の調子が良くなく、2016年春頃から入退院を繰り返してきました。2017年2月にはアトリエ・タキで学んだ多くの画家が中心となって、盛大にアトリエ・タキ展が開催されました。大作が並ぶ壮大な展覧会でした。病を押して参加した滝川さんはとても喜んでいました。しかし、翌3月に多くの人達にその才能を惜しまれつつ旅立ちました。
66歳の若さでした。 とても残念です。
入院中よく電話がかかってきました。「作品が貯まったから撮影頼む…。」市民病院の病室へ出向くと沢山の画用紙やパネルに絵を一杯かいていました。布団のシーツはインクや絵の具で真っ黒に!
看護師さんからは、「布団や床が汚れるから絵をここで描くのを辞めてくれ!」
「絵の具を取り上げますよ!」と、きつく苦情を言われておりました。しかし、そんな言葉に全くひるむことなく、
数多くの作品を市民病院の病室で描き続けました。身体の調子が良くないにもかかわらず、創造、制作、美に対する情熱と執念はすざましいものがありました。
いま、天国で安江先生と美や、心象風景について話しこんでいることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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